2011年03月23日

科学の進化と信仰心の低下

目覚ましい技術の進化は、人間世界に多くの利便を与え、日々の暮らしは単に30年前と比較しても、比べられない速度で進化化しています。
その社会や生活の利便性を考えると、科学技術やそれらの生活環境の変化が速いために、人の感覚が付いて行けず、想像がつきません。

本来どんな生活が人に適合するのかを見ながらそして検証しながら、進化する範囲や制限枠を設けて進めるべきこれらの文化を、決めれないまま暴走しているように思われます。

そのため、社会環境のブラックボックスが増加し、その環境で誤作動やバグ(修正箇所)が生じても、人々は監視や評価ができず、その比嘉を容認するか、被害の後で対処するしかない世界が広がっています。

考えてみますと、予想のつかない災害が幾重にも生じている世界の上で、私たちはその利便性のみで、幸せな生活をしていると考えているのではないでしょうか?

その裏のブラックボックスに、多くの社会的リスクを抱えていることを忘れてはなりません。

過去の原爆がそうであったように、人類にエネルギーを享受するものが、一瞬に、数十万人もの人殺しの兵器に変身することになります。
また、パスモやスイカで、二重引き落としが行われても、誰も気づくことはないでしょう。

昔、チャップリンが映画「モダンタイム」で、機械文明を風刺した映画が上映されましたが、その頃より機械文明にづっぽり浸かりつつある現代は、想像を超えたリスクをもつ世界と言えます。

そして、機械文明や拝金主義に酔いしれている間に、精神文明が急速に衰え、人の本当の豊かさとは何かを忘れ去る、大きな危機の時代にあると言えるのです。

posted by 猪僧老 at 10:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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